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神谷町RPAブログ

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業務システムの歴史から考える RPA の未来②(2000年代)

前回の記事はこちら。

www.ebocean.work

 

今回は 2000年代を振り返ります。

RPA は、登場しませんが、Blue Prism は登場します☆

 

 ※ ちょっと過激な記事になってしまったかもしれないです。

   あくまで、個人の見解・感想です。

   「2000年代、楽しかった~☆彡」という方もいらっしゃると

   思います。

   「こういう陰キャもいたんだな・・・」

   とソファでポテチ食べながら読んでもらえると幸いです。

 

 

これまでのあらすじ(1960~1990年代)

  • 1960年代~1990年代までに、現在の業務システムの基本的な要素が出そろった
  • かつてひとつだった業務システムはバラバラになり、ひとつの企業に複数の業務システムが乱立するようになった
  • 業務システムがカバーする業務範囲は、まだまだ狭い(伝票処理のみ
  • EUC のはじまり。既にコーディングなしでユーザーがアプリを作れ、コードを書けばより柔軟なアプリを作ることが可能だった。大活躍 ➡ メンテきちぃ。。

 

業務システムの歴史: 2000年代の振り返り

2000年代: Webシステムの到来と業務システムのコモディティ化

インターネット・・・を持て余す?

2000年代と言えば Windows 2000 ・・・えー、インターネット

ですね。インターネット自体は 1990年代から普及しはじめ

ましたが、企業にとっても個人にとっても、本格的に展開した

のは 2000年代だと思います。

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しかし、業務システムの観点で言うと、インターネットを

何に使って良いのかすぐにはわからなかったように思います。

Eコマースとかネット証券は、それらしい用途として、

早々に頭角を現しました。Amazon.com は 1995年、楽天は

1997年*1、マネックス証券が1998年*2です。

 

しかし、前回も書きましたが、業務システムというのは基本的

にただの伝票処理なので、インターネットを使って何かできるか、

というと、なんとも。。すぐには思いつきません。

 

自然とその関心は、通信プロトコルの標準化(HTTP、TCP/IP)、

分散コンピューティング、標準的で軽いクライアントとしての

ブラウザ(特に Internet Explorer)に向かいました。

3層アーキテクチャ/サーバサイド・コンピューティング

はじまりです。

 

Webシステムと3層アーキテクチャの登場

前回の記事で、1990年代の時点で、業務システムの導入

が容易になり、ひとつの企業に複数の業務システムが乱立

するようになった、と書きました。

 

しかし、実際にはまだまだハードルが残されてました。

まず、ユーザーが使う画面はクライアント・サーバ方式

ため、いちいちインストールしたり、バージョンアップする

などの手間がありました。

 

Linux の登場で、オープンな仕様に準拠して競争が刺激

され・・・という話も書きましたが、まだまだオープン

でない仕様も多くありました(プロプラ、つまり proprietary

なんて言い方をしていました)。

しかし、インターネットの登場で通信プロトコルが統一

され、クライアントをブラウザにすることで、非常にオープン

な業務システムを作ることが容易になりました。

 

夢の言語 Java 

さらに、プログラミング言語までもがオープンで

標準的になりました。Java です。

 

Java 自体は 1995年からありますが、1990年代末から

サーバサイドJavaが登場して、大ブレークしました。

いまからは想像もできないほど、当時の Java は輝いて

いたと思います・・・Java の本来の特徴以外のところで。

 

Java の特徴と言えば(いろいろあると思いますが)以下

が挙がると思います。

  • WORA(一度書けば、JVMが中間層で吸収することで複数のOS上で動かすことができる)
  • オブジェクト指向との親和性が高い(いや、いろいろ意見はあると思いますが、当時の時点では間違いなく高かったと思います)
  • オープンソースであり、サーバサイドJavaを含めて、様々な技術仕様が充実

しかし、少なくとも日本の業務システムにとって、Java

の最大の効用は、これが標準言語になる、ということです。

 

言語が統一され、資材が安く調達できる。

誰もが自覚のある・なしに関わらず、思ったはずです。

 

い ま な ら バ ベ ル の 塔 

を 作 り な お せ る

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バベルの塔の再構築

2000年代に入り、

業務システムの近代化」を掲げて、Java で

既存のシステムを作り替える提案がなされ、

数十億円、場合によっては数百億円の案件が

日本国内で大量に走り出し、まさに世は Java

で業務システムの時代を迎えました。

 

前の記事でも書きましたが、ERP パッケージは

大成功とまではいかず、この頃は Java で一から

基幹システムを作るという話は、それほど珍しく

なかったと記憶しています。

(いまはかなり、減ったはずです)

 

皆さんはこの時代をどう記憶されてますか。

私事で恐れ入りますが、

私はこの時代を思い出すたびに不快になります

この時代の反省がない人には、

二 度 と 日 本 の 業 務 

シ ス テ ム に 関 わ っ て 

ほ し く な い

と思っています。

・・・いやもうマジで。

 

コードの大量生産、すなわち写経

 

何で不快になるのか、何から書けばいいのか、、

技術の観点から入ると、Java を採用しても

オブジェクト指向は採用しない業務システムが

ほとんどでした。

オブジェクト指向と言えば以下のような特徴があって、

  • カプセル化
  • 継承
  • ポリモルフィズム

さらに再利用性を高めるための分析・設計を行う

ことに価値があるわけですが、これらはほとんど

行われず、COBOL のソースを構造化言語としての

Java で書き直してました。

(コピペ・・・ではないけど、写経に近い)

 

理由はシンプルで、オブジェクト指向の設計・分析

難しすぎるからです。この頃の大規模プロジェクト

は、元 COBOL エンジニアと、数週間の Java 研修を

受けただけの若手人材(海外人材も・・・)で

あふれかえってました。

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もちろん、リーダークラスやアーキテクチャチーム

には(表向きには)精鋭を揃えますが、求められて

いるのは低リスクで量産できるコードです。

 

写経ならそれができる!

 

数十億円、数百億円かけて、みんなで写経。

イノベーティブですね!

 

コモディティ化、IT技術者の価値が暴落

1990年代までは、IT技術者には一定のブランドが

あったと思います。

前の記事でも書きましたが、IT技術者は時間をかけて

育てられ、一から業務システムを作る際は、しっかり

とした長さの納期がありました。

合コンしたい企業ランキングでも上位に食い込んでたしな!

 

しかし、2000年代に入ると、業務システム

あらゆる要素がコモディティ化していきます。

基盤となる H/W や OS、N/W、プログラミング

言語・・・これらは安価で手に入るようになり、

技術者自体も数週間の即席研修で立ち上がる

(という建前になっている)。

 

・・・ということは、IT技術者というのは、

実は誰でも良く、とにかく数週間の研修だけ

受けさせて現場に放り込めば売上が上がるわけです。

これをハッピーと考えるのは頭がハッピーセット

ちと甘いです。なぜなら皆がそう考えるからです。

こうなると、市場は価格競争に陥り、とにかく

安く早く・・・原価をもっと下げて、、

原価?原価ってつまり、、IT技術者のお賃金じゃん!

価格競äºã®ã¤ã©ã¹ã

 

使いつぶされるIT技術者

人月の神話という本があります。

この本が出たのは1975年なので、2000年代の時点で、

既に古典の仲間入りでした。

この本、特に「銀の弾などない」を読むと、一から

業務システムを作ることは容易ではないことがわかります。

H/W や OS、N/W やプログラミング言語の入手が

容易になっても、頭を使って設計をする部分は

変わらないです。

 

だから、1から業務システムを作るのであれば、

しっかりと時間をかけてしっかりとした設計

する必要があります。

(しっかりしたテストもな!)

 

しかし、2000年代の業務システムが、そうなって

いたようには(私個人としては)思えないです。

とにかく安く早く、・・・そしてIT技術者を

極限まで値切り、値切り切れなくなったら物価の

安い海外から人を集めてくる

(オフショア開発。インショアで海外人材もあった・・・)

 

私の個人の体験としても、精神を病んでしまった

人を見てきました。ほぼ新卒でプロジェクトに

入り、「期待してるよ」ってチヤホヤされて、

毎日べらぼうな時間、働いて、精神を病み、

休職状態になったのに毎日プロジェクトルーム

の前まで来るけど、カードがないので入れない

から、ずっと立ち尽くしていた彼。

 

私は使いつぶす側の組織の下っ端でした。

彼を見て、

「うめぇwww養分乙www」・・・

なんて思えたかというと、、全く思えなかった。

 

だって、作ってた業務システムなんて、

どう見たってそんなに重要じゃない

数字を集計して監督官庁にレポートするための

仕組みだった。なるほど、毎月、決められた日に

レポートが出なければ困るかもしれない。

でも、レポートが出来て無ければ、その日だけ

頭を下げて、基幹システムからSQL で数字を

抜いてくればいいじゃないか

 

それが出来ない場合・・・?監督官庁から

怒られる。でも、それが何だというのか。

偉い人が監督官庁に行って、頭下げれば

済むじゃないか。

若い技術者のキャリアを破壊する必要なんか

どこにもない。そんなくだらねーことを、さも

天下の一大事みたいに言ってプレッシャーを

かけるから、耐性の少ない人から壊れていった

んだよ。

 

写経も価格競争もやりがい搾取も何も

かも馬鹿々々しかった、そんな個人の経験を

ちょっと書きすぎたかもですが、こういう話は、

周囲にもあふれていたので(SEは3K職場とか)、

私以外にも体験した人はいらっしゃるのでは

ないでしょうか。

 

仮想化技術とクラウドサービスの萌芽

さて、日本で巨額の金銭貴重な若いキャリア

湯水のように使って超大規模な写経が行われていた

ころ、海の向こうでは新しい技術やサービスが開発

されていました。

 

インターネットを分散コンピューティングに使う

発想は同じでしたが、台頭してきた仮想化技術

組み合わせ、as a Services、いわゆるクラウド

サービスが誕生し始めました。

 

VMware が 1998年*3から、Citrix の Meta-frame、

XenApp も1990年代末から2000年代にかけて急速に

普及しました。

そもそも、ひとつの H/W を論理的に分割する

パーティショニングコンテナ化の考え方は Unix 

時代からありますが、これらの新しい技術は

圧倒的な汎用性を持っていました。

私も初めて自分のPCにVMware(タイプ2のハイパー

バイザーだったかも)を入れた時の衝撃は忘れ

られない。。

 

仮想化技術を使えば、かつてない規模の分散コン

ピューティングが可能になります。

業務システムそのものをクラウドサービスで提供する

SaaS 形態では Salesforce が1999年、

インフラを提供する IaaS、PaaS の形態では

AWS が2006年に誕生しています*4

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2000年代の Blue Prism

Blue Prism の沿革(2000年代)

さて、そろそろ RPA に関する事も書かないと

ただの老害マウンティングになってしまうので、

Blue Prism の歩みも記しておきます。

Blue Prism の2000年代の歩みは、以下の通りです。

  • 2001年: Blue Prism ver 1.0 が、バークレイズ銀行の2人の従業員、Alastair Bathgate と David Moss によって開発され、業務プロセスの自動化がはじまった
  • 2006年頃: Blue Prism ver 1.0 にはスケーラビリティ(拡張性)の重要な問題があり、これを根本的に解決するために、アーキテクチャを作り替え、今日の Blue Prism のベースが作られた
  • 2008年: ロンドンオフィス開設。Ver 3.0 リリース

・・・まだ、RPA という言葉はありません。

 

Blue Prism v1.0 のアーキテクチャ見直し

前の記事で書いたように、1990年代の時点で、既に

プログラミングなしでアプリが作れて、プログラムを

書けばもっと柔軟なアプリが作れました。

(Lotus Notes、Excel および Office 製品での VBA)

 

したがって、2001年に Blue Prism がデスクトップでの

自動化をはじめた・・・というのは、特段、珍しい

ことでは無いと思います。

 

ひとつ、注目したい点は、Blue Prism のアーキテクチャ

見直しです。デスクトップ上での自動化では、スケール

(拡大。横展開)が難しく、セキュリティも担保されない、

ということで、このページでも最初の方で触れたサーバ

サイド・アーキテクチャに作り替えられています。

 

サーバサイド・アーキテクチャというのは、

別に H/W のサーバ機で動くとか、そういう馬鹿々々しい

定義では無くて、データの保管や処理、アクセスを

一元的に管理する、という意味です。

 

当時、サーバサイド・アーキテクチャに作り替えるのは、

時代の流れに乗った・・・ともいえますが、それなりに

大変だったのではないかな、、と思います。

とにかくこれで、2000年代に Blue Prism の基本が作られた

ことになります。

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共同創業者の Alastair Bathgate 氏*5

2008年の写真。この頃は、Blue Prism の CEO

よりもワイン愛好家として有名だった可能性がある。

 

RPA は、まだない

しかし、まだ RPA という言葉はありません

サーバサイド・アーキテクチャの Blue Prism でも、

まだ RPA と呼ぶのは早計です。

 

これについては、次回の記事で詳しく書きたいと思います。

 

主な出来事

  • Apache Struts 誕生(2000年)。サーバサイド Java が業務システムに取り入れられるようになり、各種フレームワークが乱立。自社のフレームワークを作るのが流行る。そして廃れる。
  • Salesforce 誕生(1999年)
  • AWS 誕生(2006年)
  • VMware 誕生(1998年)
  • Blue Prism 誕生(2001年)

 

まとめ

  • 1990年代頃から業務システムは安価になり、乱立する流れであったが、2000年代には技術のオープン化、コモディティ化が(建前上は)進み業務システム構築は価格競争に陥った
  • 誰でもちょっと研修を受ければIT技術者になれる時代が到来。技術者の価格(単価)は当然、崩壊。安い賃金で重労働した挙句、海外にオフショアされるようになった。この頃は辛いことがいくつもあった
  • 海外ではクラウドサービスが台頭しSaaSPaaS(・・・はそうでもない?)、IaaSが登場してきた
  • Blue Prism が2001年に誕生。最初はデスクトップ自動化で、当時としても、珍しいものではなかったはず。デスクトップ自動化の限界に2000年代半ばに気づき、サーバサイド・アーキテクチャに変更

 

ちょっと暗い話ばかり書きすぎたかな。。

 

辛いことばかりではなく、

楽しいこともあったけど、

業界の構造が歪んでいるのであれば、

それを正す努力を怠ってはいけないと思う。

 

2000年代に学んだことです。 

 

・・・あ、SOAについて書き忘れた。。

2010年代で書きます。

2010年代はこちら!

www.ebocean.work